まあなんとかやっている

微熱が続く。地味にきつい。
今日はやたら髪がくるくるするし、広がるなあと思っていた。夜、お風呂に入るタイミングでふと、雨だったからだ、と思い至った。確かに家の中には雨の匂いと生ぬるい空気がかすかに漂っていた。全然外に出る気になれなくてこもっていたので、外の天気のこともよく知らなかった。一応窓の外が曇ってたのは覚えてる。


半日、友人と通話をしながらゲームをしていた。友人も似たような境遇になったらしいので。

今までひとりだったから、どことなくのんびりしてたんだけど、似た境遇の人が増えると急に焦る。勝たなきゃ、と思ってしまう。かなり競争心が強いので、めちゃめちゃ焦りを感じる。勉強も嫌いだったが、負けず嫌いだけでなんとかしていた。そもそも無職が長引いてるのも敗北感が尾を引いてるからなんだよな。今更やったところですでに就職してる周りにはもう勝てないしな、という気持ち。

なんでこんなに勝ち負けにこだわるのか自分でも全然わからない。特に就活って勝ち負け意識してたら泥沼にハマることのひとつだと思うんだけど。ただ、馬鹿だと見捨てられる、と子どものころから思い続けてきたところはある。タイプA傾向があると自己診断している。周囲に当たり散らすとかは一切ないけど(それが社会的に良くないことなのはかろうじて飲み込んでいる)、内心はほぼ当てはまる。在りたい自分ではないのでとても嫌になる。

 

最近、暇な時間はこの前買った新書を読んでいる。久々に読書が習慣に戻ってきた。興味のあるテーマなのと、情報収集の側面が強いのでするする読める。楽しい。
そろそろ現代小説もいくつか読んでみたい。よしもとばななの小説の記憶ばっかりなので、何かこう新しいものに触れたい。よしもとばななの作品も全部読みたい。文体が美しく、ちょっとスピリチュアルな感じすらあるのに、的確なのが不思議でならず、その魅力がとても心にフィットする。素敵。


ところでなんで小説が読めないかって、感情を揺さぶられるのがものすごく苦手になってたからだった。残酷さや鬼気迫る描写、ある人物から別の人物への指摘のセリフ、自分にも起こり得る、あるいは自分にもあった苦い経験など、そういうものを体験することに恐れがある。

今読んでいる新書にも、上記のことが「快適主義」として言語化がされていたので、この「体験への恐怖」とも呼ぶべき感情に向き合う勇気がちょっと出てきた。純文学に触れたい気分ではあるので、芥川賞の受賞作品から読んでみようと思っている。『おいしいごはんが食べられますように』、文庫化してるといいな。たぶんしてるやろ。

追記:一応ネットで調べたら、芥川賞受賞作は通常文庫化までに2〜3年かかるらしい。マジかよ。寝る前に本読む勢にとって、単行本の重さはなかなか来るものがあるんだけど、気になるので買ってみようかな。