比較について

以前、競争心が強く、他人との比較をよく行ってしまうという記事を書いた。

この悪癖にはずっと悩まされていて、本来であれば人は人、自分は自分でやれていればそれでいい、という観念を身につけたかったのだが、比較癖のことを誰に相談しても、返される答えに納得がいかず、うまくやめられずにいた。

相談するたびに相手からよく返ってくる答えはある程度共通している。「人と比べるんじゃなくて、過去の自分と比べよう」というやつ。私はそのアドバイスに対して長らく、なんじゃそりゃ、と思っていた。人に勝てなきゃ意味ないんですけど。

人に勝てば成功できる、というのはごく単純な事実でもあるが、達成するのはほぼ不可能な事実でもある。ということを、頭では分かっていた。基本的に、上にはいつも上がいる。特に最近は、多くの人が自分の一芸やこだわりの作品をインターネットを通じて全世界に広めていくような時代である。認識しているだけでも膨大な「上」がいる。私は確実に誰かに負けるのである。全員がどこかで誰かに負けていると分かっていても、受け入れがたかった。

私は頑張りたい気持ちとは裏腹に、人と比べてばかりで頑張れなかった。もうすでに他の人たちに負けてるから、とずっとふてくされていた。そんなことばかりを考えていると、考えすぎたせいなのか、急にふっと虚しくなった。何においても人と比べ、比べている自分を否定することに飽きた、というのが一番近い。

自分の周りにいる人々、さらには顔も見えない誰かと張り合い続けて生きる人生って無駄すぎないか。どうせ誰にも勝てないって落ち込み続けるくらいなら、自分と勝負してた方がまだ頑張るんじゃないの、と思った。まさに、いろんな人から言われてきた、「人より過去の自分と比べよう」を、自分から初めてすんなりやったのである。不思議な心境の変化だった。

人と比べそうになったら、今の自分は昨日の自分に比べて何か進歩しているか、ということを考えるようになった。人との比較はあんなに強く根づいていた観念だったのに、どうしてこんなに急に逆のことができるようになったのかがよく分からない。河合隼雄先生が『こころの処方箋』で「一番生じやすいのは一八〇度の変化である」という節を書いていたことを反射的に思い出した。そういうことなのだろうか。その部分を読み直してみると、変化を喜びつつ、じっくり構えることが肝要というようなことが書いてあった。肝に銘じます。

今のところ、過去の自分と比べる方式はけっこう良好になじんでいる。自分相手だと、何ができて、何ができていないかが一目瞭然だし、改善行動もすんなりできる。他人と比べていたときは、心の奥底で無意識に「だって他の人は他の人じゃん」と思っていたのだろう。これが自分が比較対象になると、自分のことで自分が行動すればいいだけなので、逆にハードルが下がるという。不思議なものである。私としては、今の心理状態は苦しくなくて嬉しいので、継続はしたい。