病んでる

もうタイトルの通りだし、タイトルが全部語っているのだけど、精神の調子悪い。

早朝に起床、母に作ってもらった朝食を食べ、薬を飲み、バスに間に合うかどうかヤキモキしながらバス停まで歩き、乗ってからもちゃんと間に合うかどうかどこか不安になりながらバスに揺られ、基本的にはかなりの余裕を持って会社に着く。そして、誰とでも気さくに親切に、それでいて確実に仕事をしなければならないという信念で一日を過ごし、重く染みるような独特の疲労と共に家に帰り、また母の作ってくれた夕食を食べ、テレビを見、風呂に入り、翌日への不安と何かやり残したような気でならない焦燥感をどうにか忘れようと暗い中スマホをいじりながら寝落ちする。そういう毎日の中で、いろんな要素から得た不安や焦り、罪悪感などが蓄積していったのか、知らない間にまたどん底の淵にまで来てしまった。いまもっぱら聴いている曲が平井堅の『ノンフィクション』で、だいぶ極まってんなと思う。聴いている曲でメンタルの状況がだいたいわかる。普段から大して明るい曲を聴いてるわけでもないけど、歌詞に自分の状況への一致性を求めだしているのは調子が悪い証拠。

感情のデフォルト位置がネガティブになっている。やっておいた方がいいこと、やりたいことを自分に言い訳してできていないから。どうせ自分にはできはしないし、完遂することもできないなら初めから手を出さない方がマシだと思うようになってどれくらい経ったか分からない。だからできないままなんだよ。

私が目標として掲げるのは、たいていそういうことを言っておけば周りに感心してもらえたり、喜んでもらえたりするから以外に理由はない。私がやりたいからではなく、やれば「おお」と言ってもらえそうだから選ぶのである。そうしておけば、目標を掲げるというある種健全な行為をすることのできる人並みの人間だと思ってもらえるだろうと、学生時代からそうやってきた。

大学時代のカウンセラーに「そういうやり方が通じなくなっているから今のあなたはそんなに苦しいのかもしれない」と言われたことを思い出す。働き出して、自分では克服できたと思っていたが、薄々そうでもないと勘づいている部分もあった。

大事なのは自分が何をしたいかです、とかよく言われるけど、なんにも思いつかないんだよな。正確には、思いつかないようにしているだけかもしれない。思いついたとして、じゃあ実際にそれに向かってやっていけるかというと自信が全然ないから、掲げない方がいい=やりたいことを思いつかない方がいいという思考になる。

人生の浪費感がすごいが、コンフォートゾーンから抜け出す勇気もない。どん詰まり。私が自分の思考に掛けている制限を取っ払って、じっくり本当にやりたいことや叶えたいことを考えれば、それだけで解放されるような気がするのに。