Twitterをやめた話

Twitterをやめて1ヶ月が経った。

わざわざアプリで日数をカウントダウンしていたので間違いない。これで最後のアカウントを復活することはできなくなった。

人には向き不向きがあるとよく言うが、それはTwitterにも言えることだと思う。私にはこのツールが向いていなかった。

 

始まり

2016年に初めてアカウントを作った。

当時ハマっていたアイドルを応援するためだったが、ファンアートもツイートも何もかも、元からいたファンたちには及ばず、CDやテレビはともかくとして、個々人の活躍やさまざまな雑誌まで楽しそうに追うみんなについていけなくなっていった。勝敗の感情をTwitterに持ち込んだのが、そもそもの間違いだったんだと思う。

もともとコンテンツの選り好みが激しく、「その人が出ているなら何だって買う」の精神は私には根づかなかった。

窮屈さを感じていた頃、興味を持っていた漫画がアニメ化すると知り、そのアニメのことを呟くアカウントを作った。主に絵をアップしていたが、私の画力は中の下くらいだったので、すぐにまた窮屈になった。またしても、絵でもツイートでも考察でも他のファンたちには及ばない。下手なりに頑張っていたつもりだけれど、上には上がいすぎる。

比べるからいけないんだろう、そんなことは分かっている。だが比べてしまう。いいねという数値化は、例えそれがその人の価値を示すものではないといくら言われても、そうにしか見えないから困る。アニメが終わり、作品の人気も下火になり、ツイートはおろか絵にもいいねがつかなくなって、ただただ悲しくてアカウントを消した。

 

途中経過

それからいろんなアカウントを作っては消し、作っては消した。あまりメジャーではないゲームやアニメの話で誰かとの交流を求めてアカウントを作るものの、ツイート内容を考えすぎて気が滅入り、何もかもめんどくさくなって衝動的に消す、というパターンがほとんどだった。

自分の周りにはこんなことをする人はいなかったので、とりあえず私がおかしかったんだろうとは思う。

しかし、何かを続ける、ということに憧れがあったので、Twitterを続けるためにいろいろ悪あがきもした。

 

悪あがきその① アプリを消す

Twitterのアプリがスマホに入っていると、何時間でも見てしまうのはまずもって悩みの種だった。特に自分の好きな作品やキャラクターについて検索しまくっていた。自分でも無駄な時間だと分かっているのに、承認が欲しくてやめられなかった。アプリを消すと、とりあえずは落ち着いた。別に顔も知らない人が私の好きなもの嫌いでもいいや、と思えるようになった。アプリを消すまでそう思えなかったのはなんだったんだろう。

 

悪あがきその② ツイートだけできるアプリを入れた

FasPosというアプリだったように記憶している。タイムラインを覗かずに呟きたいことを呟けばいい、と思って利用していたが、結局タイムラインの論調が気になってTwitterアプリを再インストールしてしまったので、意味ねえじゃんということであえなく断念。何もかも自分で本末転倒にしてしまっている。

 

悪あがき③ 使うのはパソコンから

Twitter利用中は、正直これが一番楽な運用方法だった。

パソコンの画面越しにTwitterを見るのは、スマホで見るより遥かに情報や感情のコントロールがしやすかった。パソコンを立ち上げる、というワンステップを億劫がって、結果的にあまりTwitterを見なくなったのもよかった。

しかし、自分のツイートが今も誰かに見られている、という感覚がだんだん付きまとうようになって、気持ち悪くて仕方がなくなった。

 

悪あがき④ とりあえず1か月やめることにした

SNSとの付き合い方に本気で悩んでいたので、その手の有名な本である『スマホ脳』と『デジタル・ミニマリスト』を読んだ。

デジタル・ミニマリストの方は実践的な内容も多く収録されていたので、とりあえずそれに倣って、1か月間SNSを休んでみた。1ヶ月経ったらまた始めていいんだし、という余裕が取り組みやすくしてくれた。

どういうわけか、この1ヶ月はすごく楽しかった。Twitterをやっているころは、謎の焦燥感と脳内のうるささに苛まれていたのだが、それが消え、日々が普通に楽しかった。自分の経験が自分だけのものである感覚をずっと欲していたことを知った。

そうなると経験をみんなに共有するTwitterは端から私には不向きのツールである。

やめよ、と思った。

 

悪あがき⑤ そうは問屋が卸さない

Twitterをやっていないときの方が精神状態がいいことが分かったが、だからといってすぐにはやめられなかった。アカウントを削除しても、誘惑に負けてまた別のアカウントを作ってしまった。自分で言うのもなんだが、多方面でまあまあマイナーな部類に属しがちなので、孤独を恐れてアカウント削除・作成を繰り返した。

 

悪あがき⑥ 今度こそやめられたはず

やめたい、でもやめられないのサイクルをぐるぐる繰り返していたある日、とあるアカウントの人間関係で、私は初めて明確な幻滅をした。6年使ってきて、初めての経験だった。そこで、ああもういいや、と何かが切れた気がした。今までは、使いたいけれど向いてないからやめる、という消極的選択だったからアカウント削除が長続きしなかったんだと思う。

幻滅という経験は悲しかったけど、踏ん切りはついた。

 

おわりに

Twitterが楽しかったときももちろんある。そこでしか出会えなかった人もいたし、実際にあったりもした。感謝はしてるけど、最近はしんどい気持ちの方が上回った。

Twitterには向いていなかったが、もともと文章を書いて発信することは好きなので、このブログは続けてみたいと思っている。

書き始めた今が一番楽しいので、この勢いをなんとか上手く利用して続けていきたい。