その場限りの社交性

最近のテーマソングは平井堅のノンフィクション。

ふと気づいたことなんだけど、今回の集まりが終われば二度と会わない、もしくはしばらく会わないことが確定してるメンツの方がなんでかコミュニケーションを張り切る。例えば空きそうなグラスに気づいて飲み物を頼むだろうし、愛想よく明るくはつらつと、それでいて元気すぎないように振る舞うことができる。そのプチサイズが金曜日に起こりがち。土日を挟むことが確定しているので、相手の記憶から一定時間自分のことが消える可能性が高いのが気楽でいいからな気がする。逆に、定期的に会いはするけどたいした関係ではない人には毎回身構えるし気を張る。打ち解けていけばそれはそれで気負わない明るさを見せることはできると思うけど。それにしても、定期的に会う人より、一回限りの人の方に礼を尽くそうとするのはなんか失礼だけどおもろい。
あと、実際自分はどの程度気を遣えるのか、その最大値の実験場にしている。『白河夜船』というよしもとばななの本に、手を抜いて仕事をし続けていたら本当にバカになってしまった気がして怖くなった主人公が、その尻ぬぐいのため1人出勤させられた日に全力を出して仕事を片付けるシーンを思い出した。気を遣わないで省エネで生きていると、それがいつかデフォルトになってしまいそうで怖い。
ちなみに、何もかも終わって帰途についているときは虚無。

ティアキンが楽しくてたまらん。仕事で疲れてたのと、あるステージで行き詰まったのとでちょっとやめてたけど、今回だけということでネットで少し調べた。やり方は合ってたけど単純に私の操作がへたくそなだけだった。草。
続編ということで、前作をやっていた人には操作性に関して少しアドバンテージがあるのはうれしいところ。私はブレワイを全部クリアした後も、まあまあの頻度で周回プレイしてハイラルの大地を遊び回っていたけど、やっぱり新しいゲームは終始何が起こるんだろう、どう繋がっていくんだろうっていう未知へのワクワクを感じさせてくれて、すごく楽しい。ただ祠とかの謎解き要素は難しくて匙を投げまくっている。難しい。でも楽しい。
なるべく自分だけの力でクリアしたくて、ティアキンに関する一切の情報を遮断している。そのためうっしーの実況もまだ全然見てない。あらかたクリアしたら一気に見ようという楽しみとして取っておいている。たまにものすごく調べたくなるときももちろんあるけど、情報や攻略方法はゲーム内で完結できるように作られているはずなので、あとは自分のひらめきとの戦い。でも、本当にどうしても分かんないときのために、3回まではネットに頼っていいことにしている。
早くメインストーリークリアしたいな。