もう7月

・夏
気づけばもう7月なの意味分かんないな~早。
4月下旬から6月末までの2か月間は心労に絶えない日々だった。以前もちらっと書いたが、職場での人間関係ででかいストレスを被っており、非常に不快な日々だった。その関係でブログも非公開にしていた。毎朝仕事に行きたくないと思っていたけれど、それでもちゃんと勤務したのは本当に偉かったと思う。それにしても人間って意味分かんねえなぁ。人間に疲れてしまった。しばらく気心の知れた人間以外との交流はノーサンキューという感じ。
7月になると一気に「夏」って感じがする。実際には中旬まで雨は降るし、暑いと言っても湿気を多分に含んだ暑さだから、「夏」と聞いてイメージする青い空、白い入道雲、からっと晴れた空気とかそういうのはあんまりない。でも7月からはTHE 夏だなぁと思う。

Spotifyプレミアム
一時的にSpotifyのプレミアムプランに入っている。どうもサブスクリプションという仕組みが私はあまり肌に合わなくて、プリペイドカードのプランで使っている。お金に関してはかなりケチな自覚があり、大して給料ももらっていないのに、ある一定額が引き落とされ続けるというのがなんか不快。なので、1ヶ月ならその期間使い倒して元を取る、という気概で使ったほうが気分がいい。例外なのはアマプラで、コナンが配信され続けている限りは使うと思う。
それでも、聴きたいときに聴きたい音楽を再生できる自由は素晴らしいものだなと思う。あれ聴きたいな、と思ったときにスマホをちょっと操作すれば、だいたいの場合その曲を聴くことができる。権利を買っている。でも本当に980円分使ってる? といつも不安。レンタルショップに行ってCD10枚借りるのと、980円払ってその後1か月間は約8000万曲にアクセスできるの、どちらがお得かと言われればそりゃ後者なんだろうけど、なんだろうねこの不安感。不安と一緒にいる時間が長すぎて、もう正常な感覚も狂っている。
無料プランで使っているときは、お目当ての曲に行きつくまで強制的に別の曲も経由しなければならず、結果的にたくさん音楽を聴くことになるけど、一方有料プランだと目的の一曲にストレートで辿り着いたらもう満足してしまうから、払っている分聴けている感じがしないのかもしれない。

・本および日記
意図したわけではないけれど、ここ2カ月はひと月に1冊くらいのペースで本を読んだ。『むらさきのスカートの女』、『成瀬は天下を取りに行く』。最近の私にしてはよく読んだ。まったくテイストの異なる作品だけど、どちらも面白かった。特に『むらさきのスカートの女』のような読書体験は、たまにするとしばらく忘れられない。いまだに、あれはなんだったんだろう、と不思議な気分にとらわれる。
今はメイ・サートンの『独り居の日記』を読んでいる。著者は花が好きらしく、特に植物に関する語彙力・表現がすごく豊かだけど、日が空いていることもざらだから、やっぱり日記って毎日書かなくてもいいのかもしれないと思ったりする。このブログを非公開にする前に一瞬日記を載せたが、悩みながらの行動ではあった。投稿してからもなんだかモヤモヤして、結局今は下書きに下げている。毎日日記を書くこと自体は暮らしを紡いでいる感じがあって楽しいけれど、公開するのはまた違う気がする。ここ数カ月、日記との距離感やその使い方を掴みあぐねている。手軽さの点からしばらく文書作成アプリに日記を打ち込んでいたけど、また紙の日記に戻ろうかしら。日記を書くときに使っているお気に入りのペンのインクがなくなってしまったから、買いに行かなければならない。