いつの間にか8月

先週はいろいろあってブログを書く気分ではなかった。
人との話し方に苦心する日々。認めてもらおうと変に下手に出るより、認められようがられまいが、正直の限りを尽くして話す方が案外うまくいくこともあるのかもしれないと思った一週間だった。自分に自信がなくて、否定されずに済む方法ばかり考えている。誰かに否定されてしまったらそれは真実となり、そんな自分の存在を抱えて生きていけない。思考回路の不一致が多い友人と話していて思うのは、自分が悲観的すぎるということだった。デフォルトでネガティブ。単にその友人が視点をいくつも持っているというだけかもしれないが、どうせ、と自動で考えてしまっている自覚もある。そうやって自分を守っているんだなと思う。悪いわけではないけど、このままではいけない、と危機感を覚えてもいる。とりあえず、否定されたくないあまり相手の反応をコントロールすることを目的に会話するのやめたい。素を出したら嫌われるという確信に似た気持ちはあるけど、傷ついてもいいから、ただ素の自分で徐々に話せるようにしたい。

今日はちょこちょこ整理する日だった。まあまあの量がある薬を1錠ずつ分けて、買ってきたプラスチックケースに入れていき、最後にいつ飲むかラベルを貼る作業をしていた。これが意外と楽しかった。やっぱり片付けたり、整理したりするのは好きらしい。やり始めるまでにエネルギーを要するけど。それと、とっ散らかっていたPinterestのボードも整理した。今あるピンを別のボードのサブボードに統合できるとは知らなかったので、こちらもかなりはかどった。大きなカテゴリごとに分かれてすっきりしたスクリーンを見るのは気持ちがいい。整理整頓ができると達成感があるし、ほっとする。

最近、また本が読めるようになってきて嬉しい。ただ、現代社会が舞台の小説はたぶんまだ読めない。いろいろ嫌な価値観・描写に触れたり、説教されてるように感じたりすることが多いので。それを受け止めるエネルギーはない。その代わり日記本やファンタジーなら読めそう。
具体的な調べ物がない限りスマホを使わないようにするチャレンジをしてるんだけど、その結果生まれる暇な時間を全部読書に充てている。ちょっとした時間でも10ページとか読めると、時間ってこんなにあるんだ、と少しぞっとする。思いのほか存在する時間を漠然とネットサーフィンに使っていたと思うと、後悔の気持ちすらよぎった。不思議なことに、スマホを見ていた時間を本に変えると、あんまり疲れなくなった。頭がすっきりしたまま仕事にも取り組めた。スマホに比べて、本の方が処理情報が圧倒的に少ないからかなと思う。読書のことを、スマホ断ちによって生まれる時間の埋め合わせと誘惑を紛らわすため程度にしか考えてなかったけど、久しぶりに没頭することの楽しさを味わった。子どもの頃は本の虫だったのに、なんでこうなったかね。

最近シムズ4をバニラ(MODもCCも何も入れない状態)でプレイするのが好き。MODがあった方が便利だし、かゆいところに手が届くし、バグも対処療法的にしのげるし、いいことが多いんだけど、ゲーム本来のちょっとした不便さみたいなのも、まあいいかな、と思う時期。当然ながらパソコンも重くならないしね。

西村由紀江の音楽ばっかり聴いている。彼女の音楽は都会的なのに懐かしく、木漏れ日に溢れている。どの曲もどこかのフレーズが必ず心に刺さるし、音楽にとにかく癒される。すごいし、ありがたいピアニストだと思う。

 

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