仲間なような違うような

早朝から喫茶店に入った。

お客さん自体はそんなにいなかったが、それでもいろんな人がいる。スマホだけで後は手ぶらの人、リュックを背負った若い人、おしゃべりをしてる中年女性たちなど。

この前、人から「仕事でも趣味でも充実感が持てているかが大事」という旨のアドバイスをもらった。髪色も服装も年齢もバラバラなその人たちを見ていたら、なぜかその言葉がよみがえって、不思議と心が安らぐような感覚があった。私含めみんなそれぞれの人生を生きてるんだなぁと思う。それぞれの内心は当然分からないけど、この時間帯に喫茶店という場でいっしょになった人々が、他人のような、でもちょっと仲間のような気がして心地良かった。

最近はちょっとずつ状況が好転してきているので、そういう感想を抱けたのだと思う。少し前だったらたぶんもっと僻んでた。「気の持ちよう」って言葉はあまり好きじゃないけど、それで世界の見え方が変わる側面があるのも事実ではある。しかし、状況が好転していることに恐れを抱いてもいる。幸せの後には必ず不幸なことが起こるという観念が拭えない。調子に乗るなよ、といつも自分に思っている。いつ失ってもいいように警戒しろ、身構えておけ、と自動的に戒めている。書いてても疲れる。そうやっていつ来るか分からない恐ろしいことから自分の心を守ろうとしてきたんだな、と思えるようになったのがちょっと進歩かもしれない。