集合知にささやかな知を

先日の記事でちょろっと書いたが、なんのためにブログを書くんだろう、と悩んでいる。最近は「こんなの誰が読むんだろう」とか「書くだけならまだしも、公開することに意味があるのかな」と。もう数ヶ月になる。だから、ブログについて再考してみた。

第一に、私は人のブログを読むのが好きだ。人の考え方に触れると、自分の考えも広がる感じがする。それに、自分と同じように、またはまったく違うような悩みを抱え、それぞれがそれぞれの人生を歩いていることを実感できる。私の人生を綴っていくのは私一人だが、孤独ではない。そういう感覚を得られるとほっとする。解決法をシンプルに記したブログだけでなく、悩み苦しんでいる過程、そのときの感情まで知ることで、私も生活のどこかにヒントを得ることができる。

読む分には良い。それでは、私はなぜブログを書いて、それを公開するんだろう。読者としての楽しみは上記のように十分に説明できるが、発信者としての楽しみは正直あんまりよく分かっていない。タイピングが好きなので、単純にキーを打つ音や感触が好き。自分のブログなので、自分の好きなものを好きなように好きなだけ書ける。でもそれなら、人に見せるところまで果たさなくてもいいんじゃないか、と思ったりする。書くだけで粗方楽しみがあるなら、公開ボタンを押さないか、押すにしても非公開設定にすればいい。せめて週に一回は投稿する、とかいうルールを自分に課しているせいで、それができないと机に突っ伏すレベルで落ち込むのに(これは単純に私がそのくらいの頻度で投稿されているブログが好きなだけ)。

でもやっぱり公開ボタンを押したい。まあ、こういうのはあんまり書かないほうがいいかもしれないけど、私が好きなもののことを誰かに知ってほしいし、あわよくば、誰かのブログが私にヒントをくれたように、私の記事も何かのヒントになってくれたら嬉しいと思っている。気を紛らわせられたり、晴らしたり、打破や希望のきっかけになってくれると、それ以上嬉しいことはない。ネットに漂ういろんな情報の中に自分のちょっとした経験や感情や知識を加えるために、公開ボタンを押すのだと思う。それが例え、今は誰の役に立たないとしても。

書いているうちにかなりすっきりしたし、だいぶ解決した。なんだかんだでブログは続けます。好きなので!